畏敬の念と、安らぎを与えてくれた教会での体験
「生まれたのはオハイオの郊外、デイトン。畑がたくさんある農園地帯で、緑がとても豊かなところだったわ。自転車に乗って、できるだけ遠いところまで走っていくのが大好きだった。子どもには守らなければいけない規則がたくさんあるでしょ。でも、私はいつも自由でいたいと思っていたのよ」
自転車のほかには、イマジネーションを膨らませる一人遊びが好きな、想像力豊かな少女だった。 イタリア系アメリカ人の彼女は、熱心なカトリック教徒であった両親の意向で、カトリックスクールに入った。
「教会にいるときの体験は素晴らしかったわ。教会の中に漂うお香の香り、荘厳な響きの教会音楽。こうしたものは、少女だった私に畏敬の念を呼び起こす象徴であり、とても心ひかれ安らぐものだったの」
自由でいたいと願い続けてきた少女にとって、カトリックの厳格な教えにはなじめないものもあった。しかし、多感な時期に、神聖なものの存在を知り、それに触れることができたのはとてもよかったと、今でも思っているという。
「私はなぜここに生きて、何をしているのか」 舞台で演じながら自問自答し続けた
ジャッキーの兄はいわゆるヒッピーだった。
「リチャード・バックをはじめとした、ヒッピー文化を支えたさまざまな本をすすめてくれました。自由を求め続けていた私にとって、兄は現実の感じ方について大きな影響を与えてくれたメンターのような存在ね」
『私はなぜここに生きていて、何をしているのか』
いつも自問自答していたジャッキーは、大学卒業とともにシカゴに向かう。
「舞台女優としてのキャリアを積み始めたの。一つひとつの演目で共に演じる仲間たちとは家族のような関係だった」舞台には、芸術性とともに自分自身を見直す機会があった。若いころは自信がなくて過食に走ったこともあるジャッキーだったが、女優として別の人格になって人と接することで自信がついてきた。
「でも、自分にとっての本当の声とでもいうべきものは見つけられなかった」
20代後半になり、ニューヨークに移り、そこで、兄にヨガのアシュラム(道場)に行かないかと誘われた。まったく興味関心はなかったが、はじめてヨガと出会うきっかけとなる。
ヒッピーの兄に連れられ初のヨガ体験。 「ワオ、みんないっちゃってる!」
「アシュラムって何?ヨガ?インドにはまっているジョージハリスンの写真なら知っているけれど(笑)。でも、大好きな兄の誘いだし、言ったわ。わかった、行こうって」
3時間のドライブでニューヨーク北部にあるアシュラムに到着。シッダ・ヨガのグルであるババ・ムクタナンダに会った。後で知ったが、それは彼の人生で最期のツアーだった。「小さくて、可愛い帽子をかぶった気立てのよい笑顔」のババは美しい物語を語り、瞑想がはじまった。ジャッキーが薄眼をあけてみると、周りはヨガの特殊な呼吸法をする人、恍惚とした様子で身体を激しく揺らしている人もいる。
清浄な空気とエネルギーの振動は感じたが、その時の感想は「ワオ、この人たち、いっちゃってる!」の一言だ。
『湿った薪と乾いた薪』の2タイプの人がいる。
グルにいわれた言葉だ。そしてジャッキーはヨガに対して、なかなか火のつかないまさに湿った薪のようだった。それから10年、ジャッキーがヨガをすることはなかった。
ただ、アシュラムで聴いたチャントのバイブレーションはその後10数年以上にわたり、心に残り続けた。少女時代の教会音楽と同じくらいに。
シャバーサナのポーズをとったとき、これが私のやりたいことだと直感したく
1983年、ジャッキーはブームを巻き起こしつつあったエアロビクスを始めた。あの女優ジェーン・フォンダの教え子モーリー・フォックスが先生だ。88年には、長年関わってきたショービジネスの世界をやめた。
「ショービジネスの世界で生計をたてるのはとても難しく、自信喪失になりかけていた。それより人の助けとなり健康になれるのではと、フィットネスの世界に本格的に足を踏み入れたの」 そこで、モーリーに「次はヨガよ」と引きずられるようにして再びヨガと出会った。
「シャバーサナ(屍のポーズ)をとったときに、これが私のやりたいことだと直感したわ。それまでのぼろぼろになっていた肉体をヒーリングしてくれるのはこれだ!って」
1990年代前半、ニューヨークではフィットネスクラブでもヨガは大流行で、常にクラスは定員一杯だった。しかし、何かが違っていた。最初に教わったジバムクティ・ヨガの先生は良い先生ではあったけれど、自分の求めているものにぴったりではなかった。カリフォルニアのホワイト・ロータス・ファウンデーションでも学び、認定を受け、さらにアイアンガー・ヨガを7年間続け、指導者資格もとった。
「私の先生を見つけた!」ジョン・フレンド氏との出会い
「それでも、まだ何かがぴったりとこなかったの。1996年にはマッサージの勉強もはじめ、どうやったら人を癒すことができるのかを模索していました」 そして1998年、アヌサラヨガの創始者であるジョン・フレンドと出会う。彼は、ジャッキーの求めているものをすべて持っていた。治療学や解剖学の深い知見、そしてユーモアのセンス。ジャッキーは当時、腰(仙腸関節)に問題を抱えていたが、はじめてのワークショップでよくなる方法を見つけた。でも、毎年夏の2カ月、NYのアシュラムで教えていると聞いて、思わず喜びで髪が逆立ったわ(笑)」 アシュラムではそれから5年間、ジョンを手伝いながら夢中でアヌサラヨガを学び続けた。
「実はジョンとはシッダ・ヨガを同じグルマイ・チッドヴィラーサナンダに教わっていたことがわかったの。シッダ・ヨガは何世紀も瞑想とチャントを大事にしてきた美しくエレガントでパワフルな存在で、アヌサラに強い影響を与えているの」
アヌサラヨガの身体的合理性と普遍的哲学にひかれて人が集まってくる
体を動かすヨガ(シッダ・ヨガの一部である、いわゆるハタ・ヨガ)のひとつであるアヌサラヨガの一つの特徴は、アラインメントに於ける普遍的原則といわれるもので、ヨガのポーズにアラインメントを正す(身体が機能的に働く位置に筋骨がある状態)動きを取り入れていることだ。このため、けがが少なく、さらに、より力強いポーズが無理なくできるようになる。 しかし最も大きな特徴は、そのベースにあるのが、数千年も昔のインドで生まれたタントラ哲学であるということだろう。
「アヌサラが提唱している哲学は、人間は本質的に善や美、光というものをもっていると気づかせてくれます。マットの上でもそれ以外でも、『私たちが本質とは何なのかを考えること』がアヌサラの哲学なのです。呼吸法やアサーナ(ポーズ)はそのための具体的な方法の一つ。呼吸法やアサーナを一つのツールとして、その人が自分自身を知っていくこと、本質を知ることの入口になるのだと思います」 宗教や文化の違いを超えた、根底にある普遍性にひかれて、アヌサラヨガには、いろいろな背景のある人たちがひきつけられてくるのだという。
「自分のままに戻り、自分のままでいる」、その手助けをヨガで行っていきたい
アヌサラヨガに関わることは、先生としても人間としても、いつも自分自身にチャレンジを与えてくれるとジャッキーはいう。
「生徒に対して、いつもいい先生でいられるように努力をするというチャレンジね。認定されてから10年もたつけれど、今でも年に何回かはジョンのところに行き、彼のもとで勉強しているわ。彼がアヌサラヨガをどんどん洗練していくように、私も彼と一緒に洗練されていくの」
現在ジャッキーは、NYを拠点にルドラニ・ファーブマン・ブラウン氏(ワールド・ヨガ・センターのディレクター)と共にトレーニングやリトリート等を主催し、多くの生徒にアヌサラヨガを教えている。
「人々がヨガを通して、これまでの自分にとらわれずに、本来の自分自身の自由なあり方を見つけてほしいと願っています。楽しく、かつ勇気づけられ、挑戦できる雰囲気の中で、自分の本当の力に気がついてほしいのです」
オハイオの大自然の中で、自由でいたいと願い、自分の存在を問い続けたかつての少女は、大輪の花が咲いたようによく笑う。その笑顔からこぼれる柔らかな光が、きょうも大切な何かを探して集まる生徒たちを勇気づけている。