健康オタクの黄金律 その1

小学校の頃の行事のお楽しみベスト3と言えば、まちがいなく遠足がランクインする。
遠足そのものも楽しみなのであるが、当日から遡る数日間の準備期間こそもまた楽し、、であった。
例えば、200円以内でのおやつ買い。道草せずに帰宅し、ランドセルを置いて、母親から百円玉二枚をもらい、友だちと連れ立ってスーパーのお菓子コーナー、駄菓子屋さんをはしごしたり、、、
母親から「濃い色のお菓子は食べちゃだめ」「駄菓子屋さんには行くな」とか、、なにかと規制をしかれた記憶がある。
なので、小学校高学年ともなった頃、やっと母の目を盗んで、駄菓子屋さんに潜入したときに感じた、禁断の匂いそのもの、ドンキに初入店したときのような軽いめまいすら覚えた衝撃の記憶は生々しく呼び覚ますことができる。

「百万人といえども 我ゆかん、」を口癖にしていた父親はたびたび、デパートの袋を大事そうに抱えて帰宅していた。
それらは決して、高級なお菓子でもケーキでもないことを知っていたので、妹とその袋に群がることもなく、むしろ、次はなにを飲まされたり、食べさせられたりするのだろうか、と戦々恐々の気持ちでいっぱいになっていた。
だいたい、友だちを家に呼んだりすると、まず、全員が全員、ちょっと遠慮がちに眉をひそめ、鼻をクンクンさせて
「この匂いなあに?」と聞いてきた。
よなよな父が鉄瓶で煎じる高麗人参茶のしみついた香りだろう、、
家の周りには一面余すところなくコンフリーが繁殖していたり、、
食卓にはエビオスの茶色の瓶、冷蔵庫には、梅酢にんにく、ロイヤルゼリー、ノニエキス、、すぐに浮かぶのはこれくらいだが、実際にはまだまだたくさんあったはず。

ありがたいことに、私も妹も大きな病気もせず、心身ともに健康には恵まれたのは、こういう環境下で育ったからかもと思うことはある。
八十を過ぎても、現役で仕事を続け、起床すぐに、太極拳の呼吸法でひとりかけ声をかけていた昭和ひと桁世代の父は「病院は病気を作るところ、、」
とのたまい、検診にもいったことはない。
各人に健康法は様々だろうが、信じて実践して自己満足感に浸れることが、ご機嫌な毎日を送れる何気なさかなと思う。

そうそう、まもなく米寿を迎え、毎日卓球にいそしんでいる、母方の叔父は遊びにくる度、凧だ、ベーゴマだのと一緒によっちゃんイカを嬉しそうに買ってくれたっけ、、、。