東京、自由が丘。駅から7分ほど歩いた閑静な住宅街に、緑に囲まれた雰囲気のある平屋の一軒家がある。
そこが、薬剤師 青戸由紀子が代表をつとめる薬店スピリファだ。
女性のための「かかりつけ薬剤師」を目指し、バッチフラワー・ホメオパシー・漢方のカウンセリングと処方を初めて3年。
自分自身を「魂の旅人」になぞらえ、スピリファのシンボルでもある青い鳥を探し続けた彼女の長い旅の物語を聞いてみよう。

子どものころから、ずっと変わらない私がいる

「子どものころから、人の心に興味を持ち続けている、ずっと変わらない私がいるんです。だから、昔の友だちは、今こんな活動を私がしているって聞いても、ちっとも不思議に思わないんじゃないかしら」

テレビをみても、昼のドラマはなぜ暗く、夜のドラマはなぜ明るいのか、世の中の二面性が気になって仕方がない小学生だった。中高生時代は、先生に哲学的な質問を投げかけてはよく衝突をした。そんな時、いつも両親は青戸をありのまま認め、支えてくれた。心理学を学びたかったが、それでは将来食べてはいけないと周囲に諭され、勧められるまま『薬剤師』となるべく、島根から上京。薬科大学に進学した。

カウンセリング心理学を学ぶために米国留学を決意

しかし、薬学部は青戸の心を満たす場ではなかった。「人や心に興味があるのに、薬学の勉強は知識ばかりで心が介在しないと感じ、1年でやめようと思いました。そんなとき、可愛がってくださった教授に言われたのです。“何を勘違いしているのか。すべて人が介在しないものはない。1000人の薬剤師がいたら、1000通りのやり方があるのだから、自分のやり方を貫けばいい”と」

学ぶものに無駄なものなどない。改めて考え直した青戸は、薬学の勉強にまい進。薬剤師として、官庁内におかれた薬局で働き始めた。だが、やり残していることがあるという思いは拭いきれず、カウンセリング心理学を学ぶために米国留学を決意する。29歳のときだった。

帰国すら考えた、二元論の壁

人や心に関する勉強をしたい、自分の中でまだぼんやりとしていることが何かを追及していきたい。そんな期待にあふれた米国留学だったが、間もなく大きく失望を味わうことになる。「当時主流だった、心と体は別物であるという二元論の概念、クライアントとカウンセラーという関係性を採用した治療が、テクニックと分析に偏り、知識がつけばつくほど偏見が増して、人間をあるがままに見るという姿勢からますます離れていくように思え、がっかりしたのです。自分がここで学び続ける必要もない、と帰国を考えるようになりました」

ホリスティックな視点で薬剤師の知見を統合

ところが青戸は、ここでホリスティック医学との出会いという重要な転機を迎える。「私の落胆ぶりをよく知っていた教授が『これこそ由紀子の望んでいた授業よ!』と新しい講義コースを勧めてくれたのです」

それは、東洋医学を基本とした、心と体は一つである一元論の世界だった。人間全体を診ようとするホリスティック医学を学んだ青戸は、自分が薬剤師である意味を改めて意識することになった。「東洋人の薬剤師ということで、漢方や鍼について周囲から質問される機会が増えました。そうして薬剤師の勉強がホリスティック医学のおかげで、ずっと興味のあった心についての学びと初めて統合したのです」 英語があまり得手でないことは思わぬ面で幸いした。「人一倍クライアントの話を一生懸命聞く姿勢で、ネイティブのカウンセラーよりも高い評価を集めたのです。ここで喜ばれた体験は、その後のカウンセリング姿勢に、影響を与えたと思います」

帰国。日本ホリスティック医学協会への参加

米国では、大学院を卒業し、カウンセリング心理学MAを取得する。そして帰国後、すぐに『日本ホリスティック医学協会』に参加。協会の代表を務める帯津良一医師との出会いは、青戸のその後に大きな影響を与えることになる。外国人客の多い相談薬局で働きながら、さらに学び続けたいという一心で、未知のジャンルの勉強を続けた。

「ホメオパシーもこのときに学びました。その中で、私にとっての“学び”は、単に知識の伝授だけではないことを痛感しました」そして、心から納得できる“学び”の機会を探し続ける青戸に、その後の人生を変えるほどの衝撃をもたらす体験がやってくる。バッチフラワー療法との遭遇である。

真理が頭の理解ではなく、一瞬にわかった瞬間

青戸は、「絶対に行くべき」と知り合いのホリスティック仲間の歯科医師に勧められ、バッチフラワー療法の勉強会に参加する。最初は半信半疑で参加した勉強会。授業を受けてほどなく、青戸は思わず号泣してしまったという。

「私が長く探していた全部の答えがここにあった。バッチ博士の教えの一つに『汝自身をいやしなさい』というのがある。自分自身があるがままの自分であるかどうか、一人の魂に対して敬う姿勢があるかどうか。真理が、頭の理解ではなく一瞬にわかった瞬間でした」 バッチフラワーを知り、自分の軸が定まったと感じた青戸に「何かをやりたい」という気持ちがわきあがってくる。「何かを追い求め続けてきた、長い旅がようやく落ち着いたような気がしました。そして今度は自分と同じように迷い、苦しんでいる人たちと一緒に、一人の旅人として寄り添っていきたいと思うようになったのです」

ホリスティック医学の薬店、スピリファを開設

薬科大学からの友人でもある山田玲子とはじめたスピリファ。ここでは、カウンセリング部門ではバッチ療法を中心に、薬部門では一人ひとりの状態に合わせた健康プログラムを提供している。また、クライアントが心と体を自分自身で管理できるようになるためのセルフヘルププログラムもおこなっている。不動産探しの際もまったくあてがなかったのに、すぐに理想の家が見つかったという青戸は、しみじみ語る。

「いつも私達は、何か大きな存在に見守られているような気がします。そして、ここに訪れる人は、皆その大きな存在に招かれた方々なのです。特に宣伝をしたわけでもないのに、訪れてくれる人たちがいて、その方たちが、またどなたかを連れてきてくださる。そうして来ていただいた方たちが、健康な自分自身を取り戻し、自律していくようにサポートすることができる。それが私たちの幸せでもあるのです」

本来の健康な自分を取り戻す。ナラティブ・ベース・メディスンの使命

エネルギー医学について懐疑的な人々は、バッチ療法やホメオパシーを「エビデンスがとれない」という観点で認めようとしない。エビデンスに話題を振ると青戸は力を込めて答える。「薬剤師の仕事は、実は副作用をチェックすることなのですが、現代医療では主作用にばかり注目し、副作用を見過しがちです。私たちは健康になるということを、本来の自分に戻るプロセスと考えます。『誰にでも同じ作用が起これば可とするエビデンス重視のEBM(エビデンス・ベース・メディスン)』ではなく、『一人一人の患者自身の物語を大事にするNBM(ナラティブ・ベース・メディスン)』こそ提供したいものなのです」

3年を経て、口コミで増えたスピリファの顧客数は、初年度に比べ夢のように増え続けている。このことは、NBMに大きな潜在的ニーズがあることを示すように見える。「人生は、誰もが自分らしく生きるための気づきの旅だ」と、青戸と山田は考えている。そして、自由が丘の懐かしい平屋の扉は、たどり着いた旅人をきょうも迎え入れる。

■出生
小学生時代 なぜ昼のドラマは暗く、夜のドラマは明るいものばかり?」と世間の二面性に興味を持つ
中高生時代 教師に哲学的な質問を投げかけては、よく衝突をする
大学生時代 薬学部に入学。1年で中退を考えるが教授の言葉で思いとどまる。無事卒業し、薬剤師に

■薬剤師としての歩み
20代 官庁の中にある薬局に勤務
29歳 カウンセリング心理学を学ぶために米国に留学 米国の大学院でホリスティック医学に出会う。
著名クリニックで学ぶ
30代 大学院修了。カウンセリング心理学MA取得
帰国。日本ホリスティック医学協会に入会。エネルギー医学であるホメオパシーに興味を持つ
40代 イギリス ロンドンにて医療関係者とホメオパシーの研修に参加
バッチ国際教育プログラムに入会 Dr.E.Bach公認プラクティショナー取得
2006年 東京都目黒区自由が丘にスピリファを大学以来の仲間、山田玲子と共に設立

◎ この取材は2009年に東京都目黒区自由が丘の薬店スピリファで行なわれた。その後、スピリファは数多くの人々に惜しむまれながらクローズし、現在、青戸は個人で活動を行っている。(2018年7月記)

◎ライター:阪本淳子
リクルートの編集制作部門に勤め実務経験を積んだ後、フリーライターとして活動。経営者取材、人材開発分野を中心に多方面の依頼をこなす1児の母。ホメオパシーのスクールでの実践経験もあり、代替治療全般、セラピー等に関心が深い。

◎カメラマン:見米康夫
ササキスタジオを経て独立。企業広報物を中心に海外取材、人物取材に多忙。デジタルカメラを採用しない銀塩フィルム派で長年通してきたが、デジタル導入に踏み切った後もフィルムと変わらぬシャープで温かみある写真を生み出す、こだわりのカメラマン。