脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA 1/14(土)横浜パシフィコ

冒頭の野中ともよさんの司会からして、熱くなるオープニング。

「野田首相の収束宣言、聞いてあきれませんか?」
「いまこの時に、この横浜が緊急避難地域になりかねない事態が、現在進行形で進んでいるのです」「でも、世界を変えることに一番大事なことは、自分をまず変えること。2日間をそんな機会にして欲しいと思います」

この会議を開催にこぎつけた吉岡実行委員長のあいさつ。手弁当のボランティアの方々ばかりで、ものすごい密度の濃いスピードで、短期間のうちに準備を進めてきた情熱と気合いが伝わります。

アイリーン・美緒子・スミスさんも語ります。「2012年は、脱原発を実現する年でなければならない。そのためには、日程が厳しくても年頭の1月に開催したいと」。

そんな思いで奔走してきた皆さんのおかげで、世界から、日本各地から「脱原発」への意志がヨコハマに集結しました。

福島から避難中の母子たち。

「この会場を照らしている、まばゆいライトの向こうにいる人々の無念さ、悲しみを忘れないで」。

そうでした。いま進んでいる事態に比べると、会場のあまりに座り心地のよい座席に腰掛け、リアリティを忘れそうな弛緩にガツンと来ました。

ヨルダンに原発を輸出しようとしている財界、民主政権。

しかし、ヨルダンの人々のほとんどは、原発建設に反対していると、ヨルダン国会議員の
モオタシム氏のスピーチで知りました。水も豊富な国ではありません。無理があるのです。
若者たちも反対のアピールをしています。

ドイツからは緑の党・欧州自由同盟副代表のレベッカ氏。
「福島の現状を知りました。それはまるで核戦争後の世界そのものです。深い懸念を抱きながら明日、帰国します。
しかし、日本政府はもし原発稼動を強行しようとするなら、国民によって権力の座から
引き降ろされるだろうことを知るべきです」。

 

開会イベントでは、他にも前福島県知事の佐藤栄佐久氏、
環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏、オーストラリア非核連合共同代表のピーター・ワッツ氏のスピーチがありました。

そして、最年長の迫力。

低線量被爆の危険性を広く一般に知らしめてくださった、広島被爆医師の肥田舜太郎氏も登壇されました。
95歳とは思えないお声で、こちらがかえって元気づけられます。

「もうこうなっては、一人ひとりができること、昔ながらの早寝早起きなどなど、免疫力を上げる暮らしを始めるしかない」。

会議は14、15日の2日間行われます。