林檎のシロップ漬け by 井口和泉

林檎の香りがもたらす豊穣な時間

ナイフの刃を入れると、サクリという音とともに甘い細かい果汁が飛んで端正な香りがたちのぼる。「君かえす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」。恋人が踏みしめる雪の音を、林檎の香として描いた白秋のこの歌のように、林檎の香は、夜の間につもった新しい雪のように、もの静かで端正だ。きめ細やかに瑞々しい。冬の朝、熱い紅茶といただくたびに、清々しい気持ちになります。
部屋に置けば鮮やかな赤い色が場を華やかにし、ふんわりと良い香りを漂わせてくれる。タクシーの運転手さんの中には、芳香剤の代わりに林檎を網に入れて置いている方もいるとか。季節も感じられて、粋な計らいだと思います。

林檎の使い道は、デザート、おかず、保存食と多彩

いただくのなら、皮を剥いて生で、煮てジャムやコンポートに、バターとグラニュー糖で焼けば懐かしいおやつの焼き林檎。塩味を効かせた豚肉のローストや、高温で表面だけをさっと焼き付けたフォワグラのとなりには、くし形に切ってバターだけでじんわりと焼いた林檎を添えて、しょっぱいと甘いを同時に味わうおいしさはフランスで教わりました。デザートにもおかずにも、保存食にも、いかようにも姿を変えて冬の楽しみに添ってくれる懐の深さも、この果物の魅力です。

林檎のシロップ漬けを作れば、後の楽しみが広がる

冬に作る林檎のレシピはいくつかありますが、きび砂糖とはちみつで作るシロップ漬けの香り高さが気に入っています。林檎は丸ごと熱湯を通して果皮を洗い、ふきんで水気を拭いて縦半分に切る。種の部分をスプーンでくり抜いて、1cm幅にカットして重さを量る。林檎の重量の半分~同量のきび砂糖を計量し、林檎にまぶして容器に詰める。すこし香りの幅をつけたいので、生姜のスライスもひとかけぶん。はちみつを大さじ1ほど加えて、季節の柑橘類の果汁を少々搾って、時々瓶を揺らしながら3日ほど置くと、林檎の香りと水分が染み出たとろりとしたシロップの出来上がり。時間が作るシロップです。保存は冷蔵庫で。お湯や炭酸で割って飲む他に、マスタードとオリーブオイルと合わせてドレッシングにも活躍します。

上のワンランクぜいたくな林檎のいただきかたも

林檎の果肉とシロップとスパイスを温めた赤ワインに加えたヴァン・ショー()も体を冬の夜のお供に。シロップに漬かり、やわらかくなった林檎は、トーストに載せたり、カトルカール()のような焼き菓子に焼き込んだり。あるいは、すこし時間のある朝にうれしい林檎のフレンチトーストはいかがでしょう。食パンの耳は落として、白い部分をダイスに切って、玉子と砂糖を溶いて牛乳を合わせたアパレイユ()の中に一晩漬け込みます。翌日、耐熱の器にバターを薄く塗って、アパレイユごとパンを移し、シロップに漬けた林檎も好みの量を載せて、160℃のオーブンで湯煎で50分焼く。全体が膨らんでこんがりとした焼き色がついたらオーブンから出して、生地が熱いうちに全体に林檎のシロップを染み込ませます。熱々の湯気が上がるのをいただいて、お腹の中からぽかぽかに温まります。もう1ランク贅沢なおやつにするなら、冷たいバニラアイスを載せて溶けるのをからめながらいただくのも最高です。

そうそう、もしも無農薬の林檎が手に入れば、皮を厚めにくるくると剥いて紅茶と共にガラスポットに入れて、日の当たる場所に3時間ほど置くとほどよく香りが抽出される、これもまた、「時間が作る」アップルティーになるのだそうです。アーミッシュ()の人たちの方法です。

ヴァン・ショー

ヴァン・ショー(vin chaud)は、フランス語でホットワインのこと。赤ワインを温めて、 レモンやシナモン、蜂蜜などを入れた、寒いフランスの冬には欠かせない飲みもの。白ワインで作っても爽やかです。映画「アメリ」の中でも登場します。

アパレイユ

アパレイユ [Appaleil](仏). 流動状の生地をさす言葉です。お菓子を作る下準備として、 牛乳や卵などの材料を混ぜ合わせたものを言います。

カトルカール

カトル・カール(Quatre-Quarts)といい、「四分の四」の意味。粉・卵・バター・砂糖を同量ずつ配合するパウンドケーキを指します。

アーミッシュ

アーミッシュとは、キリスト教のプロテスタントの一派で、人類愛と絶対の平和主義を信条に、文明と虚飾を嫌い、18世紀そのままの質素で穏やかな伝統的暮らしを営む人々。アメリカ合衆国のペンシルベニア州、カナダのオンタリオ州などに多く居住しています。